仏像と会う旅に出たい

2020年07月25日 00:00

長い長い自粛生活を強いられている今、無性に旅に出たくなる、それも古のお気に入りの仏像に会いに行きたいと。

高校の修学旅行は奈良京都でこの時に初めて法隆寺の百済観音を見て感動、大学生になってから亀井勝一郎の〈大和古寺風物詩〉や和辻哲郎の〈古寺巡礼〉に誘われ折に触れ仏像を見る機会を作って来た。今でもお気に入りの仏像に会いたくて奈良の寺に時々出掛ける。

それらの仏像を幾つか取り上げると、室生寺の釈迦如来坐像、法隆寺の菩薩半跏像、東大寺法華堂の日光・月光菩薩、東大寺戒壇院の四天王広目天、新薬師寺の十二神将摩虎羅そして興福寺の阿修羅などが私が向き合いたい仏像だ。

最初の3体は静かな祈りの世界に誘われるような穏やかな佇まいで何時の時にも安らぎを与えられた。日光・月光は今は東大寺宝物館に安置されているが薄暗い法華堂の中に置かれてこそ深く心に響く様に思う。阿修羅は興福寺講堂の再建記念で他の仏像と一緒に堂内に配置された機会に巡り合えた時には宝物館で見るのとは違う仏像同士の関係性の妙を感じ阿修羅が安堵感に満たされている様にも感じた。

広目天の圧倒的な眼力と強い意志、摩虎羅の戦いの後の自責の念の佇まい、そして阿修羅の内に秘めた意志の強さと優しさ、企業戦士の時には何度となく力を貰ってきたが、今は少し穏やかな気持ちでありし日を思い出しながら向き合っている。
仏像は宗教心を越えて向き合い心の対話ができる不思議な存在である。旅に出たい。