奈良へ仏像に会いに行く

2025年05月29日 00:00

一人旅を再開、手始めに奈良に一泊2日で仏像に会いに出掛けた。

一年前には心筋梗塞で入院しもう一人旅は出来なくなったかと思っていたが、医師、妻のサポートとリハビリを頑張ったお陰で体力を回復し旅に出れる自信に繋がった。

奈良に来るのは久しぶりだ、前回は秋に来たが翠り薫る季節は初めてかも知れない。初日、JR奈良駅に昼過ぎに着き国宝展は明日ゆっくりと見ようと先ずはお気に入りの新薬師寺に向かった。初めて来た前回、暗いお堂に佇む十二神将の静謐な姿に心を打たれた。中でも戦いを終えた武将の姿が私に重なったのを覚えている。今回も勇猛な武将より武器を下げ戦い後の静寂のなかで安堵している姿に打たれる、加えて神将を見守る薬師如来の大らかな姿が私を包み込んでくれた。

翌朝、国宝展に出掛ける前に翠薫る朝の爽やかな奈良公園の森の中を散策した。開館30分前に国立博物館に行くと既に長蛇の列、人気のほどが分かる。

入ると最初の部屋にいきなり法隆寺の百済観音の立ち姿が目に入る。こんな至近距離でかつ全方位から見ることはお寺では敵わないこと、仏像好きには堪らない。慈悲に溢れながら神々しい品格は祈りのかがやきに満ちている。 

何度も足を運んだ室生寺の釈迦如来坐像、初めて見る円城寺の大日如来坐像にも会えた。最後の部屋には中宮寺の如意輪観音菩薩まで置かれている、正しく超国宝展と言っておかしくない。

日本の仏像は西洋の聖人像とは違い限り無く人に近い、昔の仏師は人の中にある祈りの精神性を仏像の造形の中に閉じ込める天才だったのだろうか?キリスト像で唯一これに近いと思ったのはミケランジェロの未完作品マリヤを背負うロンダニーニのピエタ像である。これは神の像ではない人が最後に到達するあり様である。

二日間の間、仏像と対面してきたそして奈良の森の中をゆったりと歩き心の故郷のような安らぎを得た。

 

二日間の間、仏像と対面してきたそして奈良の森の中をゆったりと歩き心の故郷のような安らぎを得た。