歌を詠む人
限られた文字数による表現の極致は俳句だろうし、和歌や詩がある。
私が未だ企業戦士バリバリの40代の初め、俵万智の「サラダ日記」が一世を風靡した記憶があるが、私は俳句や和歌の世界との縁はないまま今に至っている。それがたまたまAmazonで永田和宏と言う京大の生命科学者であり著名な歌人でもあるそして妻で歌人であった故河野裕子との青春時代を書いた本に興味を持った。
科学者と歌人、私の理解を超えた組合せしかも妻も著名な歌人で息子と娘までもが歌人とくる、私の周りには存在しない世界に未知なる生き方があると思った。永田の本は乳がんで死んだ妻の持ち物から日記と2人の往復書簡が見つかった事を機に2人の青春時代の生き様を日記、手紙そして歌を繋ぎ赤裸々に綴ったものであるが、読むうちに相方の書いたものも読んでみたく河野の随筆を合わせ読みした。
読みながら感じたのは歌は作者の心のありようを限られた言葉を選び表現する、それ故に読み人の想像力を喚起し会話などでは語り尽くせないものまで読み人に伝える力がある様だ。この本を書かせた時の永田の“きみの日記きみの手紙が書かせたるきみの一途を残さむとして”と率直な想い歌、河野の絶筆“手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が”の歌が心に残る。
そして想像だが職業としての科学者が論理の世界から一時自分をあるがままに解放して行けるツールに歌があったのだろうと。
今にして色々教えられることがあり人生への興味は尽きない。